カードローンのプロミス、その歴史

英語の授業を受けたことのある人ならば分かっているかもしれませんが、プロミスというのは約束するという意味の英語です。プロミスは創業時、その時代では融資の条件として当たり前であった保証人や印鑑証明近隣への聞き取り調査などを全て取り払い、手続きをより簡単により早く出来るようにしました。

それはプロミスと契約者が、お互いに「約束」を守ることで、お互いに対等で健全、分かりあえるような取り引きをしようというシステムを開発した創業者、神内良一氏が、その理念の象徴として社名にしたのです。

ここからは、プロミスの歴史を見てみましょう。

1962年に創業者である神内良一が関西金融株式会社を設立します。

1963年、社名を変更し、関西プロミス株式会社になります。

1969年には東京プロミス株式会社として東京に進出します。このときはまだ関連してはいるものの別の会社です。

1970年、関西プロミスと東京プロミスの営業担当としてプロミス株式会社が設立されます。

1971年には事業再編で社名が一部変更され、プロミス株式会社、関西プロミス株式会社、東京プロミスの3社体制になります。

1974年、関西プロミス株式会社と東京プロミス株式会社が合併して、社名がプロミストラスト株式会社になります。

1974年に消費者金融業界では初となるコンピューターシステムを稼動させます。

1980年、店舗数が100店を達成したこの年、休眠会社の小倉商事株式会社がプロミストラスト株式会社、プロミス株式会社、トラスト株式会社、天満クレジット株式会社の4社を合併し、社名をプロミス株式会社に変更します。

1985年になってようやく2本社制が廃止され、本店が東京都千代田区に移転します。

1999年、それまで使用していた青い看板を完全に廃止、新シンボルマーク制定します。「黄色い看板プロミス」のCMはこの年からです。

この度2012年、SMFGとの間で株式交換を実施することで、SMFGの完全子会社となるようです。

さすがに老舗だけあって、年表だけでもかなりの量になってしまいます。

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